うどんの歴史を深掘りすれば謎多き背景が見えてきた!

そばとともに馴染み深い食べ物「うどん」

 

白くてもちもちつるっとした麺は、そばとはまた違った食感やおいしさがあります。

ここではうどんの歴史についてご紹介。

 

どのようにして日本で発展を遂げたのか、迫ってみたいと思います。

 

 

うどんの始まりは中国!

 

うどんの原料である小麦は、人類最古の作物とされています。

 

小麦は西アジアにて紀元前8千年頃から栽培がはじまり、シルクロードを経由して中国全土に広がっていきました。

小麦の文化は中国にて発展を遂げ、小麦粉に水を加えて練ったものを「餅(ピン)」と呼ぶように。

この「餅(ピン)」が、「麺条(ミエンティアオ)」という細長い麺へと変化していきます。

 

これが「うどん」の原点だと言われています。

 

なお、小麦文化は西へも伝わり、それが現在のイタリア・パスタの起源といわれています。

 

 

謎多きうどんの発祥

 

小麦文化が始まった中国から、日本へ渡ってうどんに至るまでにはさまざまな諸説があります。

 

 

まずひとつめは「餛飩(こんとん)」から「饂飩(うどん)」になった説。

 

小麦粉で作った餡入りのお菓子を「餛飩(こんとん)」と呼び、さらに「餫飩(うんとん、こんとん)」とも書くことから、同じく小麦粉で作るうどんを「饂飩(うどん)」とした説です。

 

 

ふたつめは、小麦粉を水でこねて細く切った「切り麦」がうどんの原型であるという説。

 

切り麦は生地を円筒形にまとめ、包丁でそぎ落としながら麺状にして茹で上げます。

この切り麦が日本にて独自に発展を遂げ、うどんになっていったという説です。

 

 

みっつめは、仏教の伝来とともに日本にもたらされた説。

 

福岡県福岡市の承天寺というお寺には、「饂飩蕎麦発祥之地」と書かれた石碑があります。

これは、中国から帰国した円爾(えんに)という僧侶が製粉の技術をも持ち帰ったことに由来するとか。

 

また弘法大師空海が小麦と製麺技術を香川県に伝え、讃岐うどんが確立したという説もあります。

 

 

ほかにもさまざまな説があるようですが、真実は明らかにされていません。

ただ、少なくとも江戸時代にはそばと同様、庶民に親しまれていた食べ物ではあるようです。

 

 

讃岐うどんの歴史

 

うどんといえば、「うどん県」の愛称でも親しまれる香川県。

 

コシのある麺をダシの利いたうどんつゆに浸していただく讃岐うどんは、老若男女問わずに人気があります。

 

もともと讃岐地方は温暖で雨も少ない土地のため、小麦作りに適した地域であり、栽培された小麦は全国的にも高い評価を得ていたようです。

 

さらに、うどんつゆの材料であるイリコが香川県の離島・伊吹島で容易にとれたこと、小豆島で風味豊かな醤油が造られていたことが相まって、うどん作りが盛んに。

 

正月やお祭りなどハレの日にうどんでもてなすのが讃岐地方の習慣となり、昭和の頃に小さな製麺所が発展。

製麺所に椅子を並べて近所の人に食べてもらうようになり、全国的に広まっていったとされています。

 

 

香川でうどんを食べるなら3種類の店タイプを把握すべし!

 

香川県にある讃岐うどんのお店は、3つのタイプに分かれます。

 

まずひとつめは「一般店」

座席に座りメニューを見て注文し、サイドメニューなども楽しみながら最後に支払うパターンで、通常の飲食店と同じスタイルです。

 

ふたつめが「セルフ式」

店内の入り口付近に注文カウンターがあり、希望のうどん玉数を申告してどんぶりを受け取ります。

天ぷらなどのサイドメニューをチョイスして、レジで支払い。

その後、セルフで麺をあたためどんぶりに戻してダシを注ぎ、薬味をトッピングしていただきます。

食器も返却口に自分で戻します。

 

 

みっつめが「製麺所」

うどん麺の卸しが本業で、お昼時など時間や数量限定で客にふるまってくれるお店です。

どんぶりや箸、ダシなど必要なものを用意し、玉数を注文してどんぶりに入れてもらって支払い。

店内に飲食スペースがあれば座り、なければ外に出て素早くいただきましょう。

食後の片付けもお忘れなく!

製麺所は店によって注文の方法などが異なるため、事前に調べておくか前の人の注文をよく見ておくことも大切です。

 

それぞれに特徴があり、のど越し、食感の違いを知り、自分だけのお気に入りを見つけるのも、楽しみの一つですね!