歴史ある出雲そば。その始まりと発展した理由は?

出雲そば

わんこそば、戸隠そばと並んで、日本三大そばのひとつとして親しまれる出雲そば。

 

出雲エリアには多くのそば店がひしめきあい、住民はもちろん観光客からも多数求められています。

そんな出雲そばの歴史について、改めて紐解いてみましょう。

 

 

出雲へそばを広めたのは松平直政

 

出雲にそばを広めたのは、松本城主であった松平直政(徳川家康の孫)が寛永15年に島根・松江に移り住んだことによるものだとされています。

 

このときに、信州のそば切りの技術が持ち込まれ、出雲に広まったのだそう。

 

それまで出雲では、”そば切り”ではなく、そばがきやそばがゆとして食べられていたのだといいます。

 

なお、寛文6年に書かれた出雲大社の神職・佐草自清の日記の中で、出雲そばが江戸時代前期にはすでに食べられていたことが綴られています。

 

そこには、出雲大社の造営工事において本殿の柱を立てる相談をし、その後にそば粉を練って細かく切った”そば切り”がふるまわれた、とあるのだそう。

 

出雲そばはこれほど古い歴史があるのですね。

 

 

上流階級へと広まっていったそば

 

松平直政が持ち込んだそばは、その後庶民へも広がりを見せ、庶民にとってのハレの日の食事として用いられるようになりました。

そんなそばが上流階級にも食べられるようになったのは、松江藩七代藩主・松平治郷の頃。

 

大名茶人として知られ、不昧公と呼ばれ親しまれていた松平治郷は、大のそば好きでもあったのだそう。

 

茶会席の場でそばを出したり、そばを題材にした俳句を詠んだりと、風流な食事のひとつとして扱ったことでそばの地位が向上していきます。

 

これによって上流階級や武士たちにも浸透し、広く食べられるようになっていきました。

 

出雲そばは不昧公の尽力もあって出雲大社や松江城下を中心に発展。

当時も数多くのそば屋が軒を連ねていたようです。

 

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2種類の出雲そばが発展

(写真:割子そば)

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出雲そばの代表格は「割子そば」という冷たいそばと、「釜揚げそば」という温かいそばの2種類。

 

割子そばは主に三段に重ねられた朱塗りの器にそばが入っており、器の中に薬味とそばつゆをかけていただくもの、一方釜揚げそばはゆで上げたそばをそのまま器に入れ、熱いゆで汁とそばつゆをかけていただくものです。

割子そばは松江を中心に発展、釜揚げ側は出雲大社近辺で発展したといわれています。

(写真:釜揚げそば)

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割子そばは、かつて松江の城下町にて野外でそばを食べる文化があったことが由来しています。

 

このときお弁当のような四角い重箱にそばを入れており、これを”割子”と呼んでいたようです。

 

ただし角が四角いとどうしても洗い残しが多くなり、不衛生になるという理由から、円形の漆器へと変化していきました。

 

一方出雲大社近辺で発展していった釜揚げそばの誕生には、全国におられる神々が出雲大社にお集まりになられる旧暦10月の神在月が関係しています。

 

この時期は出雲地方の神社にて神在祭が行われ、多くの人が参拝に来られます。

 

この参拝客に振る舞うため、そばの屋台が多く出ることになりました。

 

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このとき、屋台であることからそばを水で締めるには手間がかかってしまうということで、鍋でゆでた後に熱いままのそばを器に入れ、そば湯を入れて提供したのが始まり。

 

お客はこの釜揚げそばにそばつゆと薬味をかけていただきます。

釜揚げそばのいいところは、そばつゆの量を自分で調節できるため好みの濃さにできること、そしてそばの栄養分が溶け出したそば湯も一緒にいただけること。

 

屋台から始まった釜揚げそばですが、今も出雲に深く根ざす食文化となっています。

 

出雲の地で歴史を紡いできた出雲そば。

 

昔も今も、出雲の人にとってなくてはならない食べもののひとつです。

 

出雲にお越しの際には、ぜひ出雲そばをお召し上がりになってくださいね。